書籍の電子化・自炊のはじめ方
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帰ってきたロバート・クビサ。2012年のF1マシン・ロータスE20で115周を走破!


Photo by Nic Redhead 

2010年、ザウバーからルノーへ移籍し、印象的な走りを見せたのがロバート・クビサです。

私は、クビサは絶対に将来のチャンピオンになると期待していました。

ところが、F1のオフシーズンに参加したラリーで大きな事故を起こし、F1での再起は不可能になってしまったのです。

そのクビサがついにF1マシンでテストを行うまでに回復したのです。
今後の本格復帰はあり得るのでしょうか?

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2011年、ロバート・クビサのラリー事故

ロバート・クビサ事故後の車の写真は今でも覚えています。

フロントからリアまでガードレールが貫通するほどの大事故でした。

ロバートクビサは腕の切断も考えられたほどの重傷を負ってしまいました。

今のF1ではオフシーズンといえども別のカテゴリーのレースをするなど考えられません。

昔はそのようなことが平気で行われていたのでしょうか?
あるいはクビサが特別だったのでしょうか?

この事故以来、F1でクビサの活躍をみることが出来なくなってしまいました。

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2010年のロバート・クビサ

2010年、ロバート・クビサはBMWザウバーからルノーに移籍します。

クビサはザウバー時代の2008年に初優勝し、表彰台も何度も経験した有能なドライバーです。
そのクビサがルノーでナンバーワン・ドライバーとして活躍し、3度の表彰台を獲得したのが2010年でした。

相棒は初のロシア人F1ドライバー・ヴィタリー・ペトロフです。

ちょっと脱線しますが、このペトロフが最終戦のアブダビGPでアロンソの前を走り、アロンソの3度目のチャンピオンが幻となってしまったのです。
アブダビはパスすることが難しいコースです。
いつもは後方を走っているペトロフが大事なレースでアロンソの前にいることに、怒りすら覚えました。

……

2010年はベッテルとアロンソがチャンピオンを争った年で、レッドブルのマーク・ウェバーも健在でした。

それに、マクラーレンも今のような最下位ではなくメルセデスエンジンで速かったのです。

そんな状況で3度の表彰台をものにしたロバート・クビサはドライバーとして際立っていました。

私はこのクビサこそ将来絶対にチャンピオンになると確信していたのです。

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2008年のロバート・クビサ

2008年のロバート・クビサはBMWザウバーで大活躍しています。

カナダの動画を楽しんで下さい。


YouTubeKuBikaTv

2017年、ロータスE20で115周

6月6日、ロバート・クビサはルノーのプライベートテスト(バレンシア)で115周を走行しています。

これは余裕で1レース以上の周回数です。

ロータスE20はクビサが離脱した後、2012年にキミ・ライコネンが駆ったマシンです。(ページ冒頭の写真。2011年からチーム名はルノーからロータス・ルノーGPになり、2012年にロータスF1チームになっています。)
このマシンに乗ったクビサの気持ちを思うと涙が出ます。

数年前まで怪我のためにF1マシンをコントロールすることが出来ないと言っていたクビサは、ついに成し遂げたのでした。

これを機にF1に戻ってきてくれることを期待したいと思います。

ファンとして、もう一度ルノーを走らせてくれることを祈ってます。

© bluelady.jp


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