書籍の電子化・自炊のはじめ方
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F1ドライバーがヒーローだった時代、セナとプロストは戦った。「アイルトン・セナ〜音速の彼方へ」(セナ・ファン必携アイテム①)

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Photo by Angelo Gargano 

今でもアシフ・カバディアが監督したアイルトン・セナのドキュメンタリー「アイルトン・セナ〜音速の彼方へ」はセナのベストな記録です。

2014年発売された、アイルトン・セナの映像を10枚のDVDに収めたボックスセット「追憶の英雄 コンプリートBOX」はボリュームの上では最高です。

しかし、セナとプロスト、セナとF1界、セナと家族、人間セナを知るためには「アイルトン・セナ〜音速の彼方へ」以上のものはないでしょう。

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5月1日がセナの命日ということで、この映像のことを書いておきたいと思います。

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セナ vs プロストの時代

セナプロ時代はF1の歴史のなかで最もファンの人気を集めた時代です。

F1というに世界にタイプの違ったふたりのヒーローが現れ、その二人が同じ条件で戦うことになった特別な時期です。

彼らの戦いは、スピードの競い合いだけではない、人同士の技術と知力を尽くした戦いだったのです。

それが人々の感心を惹きつけていました。

現在のF1は、レギュレーションに縛られ、どちらかというとエンジン性能や空力性能に左右され勝敗が決してしまうスポーツとは言いがたい世界になってしまいました。

1992年、ウイリアムズがハイテクマシンを登場させた時、セナは「電子制御の戦争」を嘆いていましたが、その状況はもっと進んでしまいました。

そうした状況を見るにつけ、セナ vs プロスト時代が懐かしく感じられてしまいます。
おそらく、このようなライバル通しの戦いは2度と見られないでしょう。

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1989年と1990年の鈴鹿

「アイルトン・セナ〜音速の彼方へ」には1989年鈴鹿、カシオ・シケインでのセナ・プロ接触後の記録がとても詳しく記録されています。セナの主張、ロン・デニスの主張、プロストの主張がそれぞれ明確です。

この記録から見るとセナのおかれた状況が政治的に抑圧されたものだと確信できます。

さらに、1990年鈴鹿のポール・ポジションの位置決定、第一コーナーでのセナ・プロの接触 でふたりの確執は決定的なものになります。

1990年の鈴鹿はセナの復讐の場となってしまいました。
その後のセナのインタビュー映像からセナの複雑な心境が見て取れます。

1990年の鈴鹿はチャンピオンを獲得するためにドライバーとしての誇りを捨てた瞬間だったのかもしれません。

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悪役に映ってしまうプロスト

「アイルトン・セナ〜音速の彼方へ」を見ると、アイルトン・セナの追悼という性格の映像だけにプロストやFIAが悪役のように映ってしまっています。

しかし、それが事実だったのでしょうか?
プロストがウイリアムズを最後に引退した後、セナとプロストとの関係を見ると本当は仲が良かったんじゃないかとも思えます。

ひょっとすると2人の天才はF1のために人間関係を犠牲にしていたのかもしれません。

1991年、母国優勝

1991年アイルトン・セナは母国ブラジルで初めての勝利を獲得します。
ギアボックス・トラブルのため、最後の数周は6速のみの走行を強いられた伝説のレースです。

さらにセナはシートベルトのしめすぎによって、激痛に耐えながらのゴールでした。
ゴール後、気を失い、表彰台ではトロフィーを掲げることにも苦労するセナの状況が涙を誘います。

1993年最終戦、プロストと共に上がったセナ最後の表彰台

1993年は電子制御のハイテクマシン最後の年です。
この年は、セナがマクラーレンをドライブした最後の年でもあります。

セナはウイリアムズに劣るマシンでありながら5勝を上げています。
ドライバーとしては最も能力を発揮した年だと言えるでしょう。

その年の最終戦オーストラリアGPでも優勝し、2位のアラン・プロストとともに表彰台に上がっています。

セナは翌年ウイリアムズへ、プロストは引退し、彼らが最後に表彰台に上ったレースとなったのでした。

1994年サンマリノGP:セナの死の瞬間

34歳の若さでこの世を去ったアイルトン・セナの死亡事故の瞬間を収めた記録は、今となってはこれだけではないでしょうか?

あまりにも突然の出来事に声を失ってしまいます。
なぜ、イモラサーキットのタンブレロでコースアウトしてしまったのでしょうか?
今でもはっきりしたことは分かりません。

その後の映像には若き日の三宅アナウンサー、川井一仁さん、今宮純さんのセナの死を告げる映像が記録されています。

私たちがTVでセナの死をはじめて知った画面がそのまま記録されています。
重要な部分で日本の番組の映像が採用されていることに感謝したいほどです。
あるいは、この部分は発売国によって違っているのでしょうか?

……

セナはF1の体制によって翻弄された偉大なヒーローです。
その死は、突然の電子制御の禁止というレギュレーションの変化がもたらしたものとも言えます。
前年まで、電子制御だったマシンをいきなり人の手に戻すことによって、ドライビングの難しいマシン特性が残ってしまいました。

1994年はシムテックのローランド・ラッツェンバーガーも命を落としています。
バリチェロの事故も衝撃でした。

これらのことが、1994年前半のF1マシンの不安定さを示しています。

……

「アイルトン・セナ〜音速の彼方へ」には、マンセルがあまり取り上げられていません。
そこが残念ではありますが、アイルトン・セナを追悼するには、この記録以上のものは存在しないでしょう。

© bluelady.jp

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コメント

  1. たこべい より:

    まさにブームでしたね。TV観戦でしたが、確か1987年からの鈴鹿は毎年暫くは見てました。マンセル vs プロストもバトッていた遠い記憶があります(「ナンバー」で読んだのだと思います)。
    最近はすっかりご無沙汰してしまってます。一度、観に行きたいなと思いながら実現してないなぁ。

    • Lin より:

      たこべいさん、ありがとうございます。
      私は近年のF1にはかなり批判的です。
      そのため、鈴鹿で直に観ようという気がおきません。
      でも、マクラーレン・ホンダがなんとかなるまで、応援しようと思ってます。

      私のF1離れはセナが亡くなったときに始まりました。
      しかし、離れながらも観ているのですがから、そうとう好きなのだと思います。

      ただ、最近のルールがややこしすぎてシンプルに楽しめなくなったのは事実です。
      だいたいタイヤ性能が悪すぎだったり燃料がきめられていたりして、純粋にスピードを追求できるスポーツでは無くなってしまいました。
      近年のF1は耐久レースの様相をていしています。

      いまでは、なさけないマクラーレン・ホンダで頑張っているアロンソを応援するのみです。

  2. 中村 より:

    201O年に公開されてたんですね。月日の経過が早いです(年のせいかな。笑)

    ドキュメントとしても、F1の歴史を見る上でも貴重な映像資料として見応えありました。
    印象的な場面として、まずオープニングで始まる1984年モナコGPのレース模様、マクラーレンTAGポルシェのプロスト氏とF1デビュー間もないトールマンハートのセナ氏の対比が素晴らしいでした。
    そのあとでは、1990年鈴鹿での日本GP、ドライバーズミーティングでのセナ氏が退席するシーン(ネルソン・ピケ氏がシケインでの問題を主張する場面)です。
    なぜか孤立して仲間外れにされた感じのセナ氏の後ろ姿が寂しかった。

    少し可笑しく笑えたのは、プロスト氏が綺麗な美人女性キャスターからインタビューを受けてるシーンで、女性キャスターを口説くところ、逆に女性キャスターからプロスト氏の奥様の話題を振られて、困った顔をするプロスト氏がお茶目で面白いでした。

    最後ラストシーン、セナ氏のカート時代の映像が出て、エンドクレジット字幕でセナ財団の説明があり、セナ財団の管財人A・プロストの字幕が出た瞬間、泣けました。

    この年末に、またレンタルDVD借りて観てみたくなりました。

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