書籍の電子化・自炊のはじめ方
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1988年、日本GP(鈴鹿サーキット)で初のワールドチャンピオンを決めたアイルトン・セナ。オープニングラップ14番手から奇蹟の勝利。

Ayrton Senna
Photo by Paul Lannuier

アイルトン・セナが初のワールド・チャンピオンを決めたのは1988年日本GP(10月30日:鈴鹿サーキット)のことでした。(このレースで鈴木亜久里はローラからF1デビューを果たしています。)

マクラーレン・ホンダに移籍して、最初の年です。
ライバルは同じチームのアラン・プロスト。

その年、プロストとの激しいチャンピオンシップ争いを繰り広げて来ましたが、日本GPはアイルトン・セナが優勝すればチャンピオンが決まる一戦となったのです。

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スタートでエンジンストール

日本GPの予選でポールポジションを獲得したセナは、フロントローにアラン・プロストと共に並びます。
セカンドローにはベルガー(フェラーリ)、カペリ(マーチ)。
サードローにピケ(ロータス)、中島(ロータス)がつけていました。

決勝前、路面を濡らした雨はスタート時点では上がっていました。しかし、路面はすべりやすい状況となっています。

レッドシグナルからブルーシグナルへ。鈴鹿での51周のレースがスタート。
アイルトン・セナはクラッチミートに失敗し(クラッチが敏感すぎたため)、エンジンをストールさせてしまいます。

しかし、鈴鹿のスターティング・グリッドが前に傾斜していたことが功を奏します。
いったんクラッチを切って車を前進させ、再度クラッチをつなぎ直すことで、エンジンを始動することができたのです。

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14番手からの猛追

アイルトン・セナがスタートを切ったときには14番手まで順位を落としていました。
しかし、セナはレースを諦めません。

1周目に8番手までポジションを上げたセナは、2周目:パトレーゼとナニーニをパス。
3周目:ブーツェン4周目:アルボレートをパスしていきます。

トップはプロスト、ベルガー、カペリ。
カペリはベルガーを交わしプロストとトップ争いを演じています。

10周目:セナは4位まで浮上。プロストとの差は11秒。
11周目:セナはベルガーをパス。3位となり、プロストとカペリを追います。

15周目:プロストのギアボックスにトラブル発生。最終コーナーでシフトをミスしたプロストをカペリがメインストレートでパスします。しかし、プロストは第1コーナーにブレーキを送らせ突っ込み、トップを譲りません。

20周目:セナはついにトップ争いに追いつきます。
直後、プロストとトップを争っていたカペリのエンジンは電気系のトラブルが発生します。カペリはリタイア。ついにプロスト対セナの一騎打ちとなります。

27周目:プロストは前をバックマーカーにふさがれます。
28周目:ついにセナはメインストレートでプロストをパスしてトップにたちました。

33周目:アイルトン・セナは1分46秒326のファステストラップをたたき出し、プロストを突き放していきます。

ラスト5周:雨が降り始め、スリックタイヤではマシンのコントロールが難しい状況になります。セナはピット前で上空を指さし、レースの中止を訴えますが、そのまま続行。

最終ラップ:セナは細心の注意をはらいゴールへ。
初めてのワールド・チャンピオンを決めた歓喜の瞬間でした。

アイルトン・セナはその最終ラップ「自分の隣に神を見た」と話したといいます。

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奇蹟の優勝

マクラーレン・ホンダMP4/4のエンジンがストールした瞬間、セナは冷静に再始動を試みます。幸運にもエンジンは息を吹き返し、気迫に満ちた追撃を可能にしました。

14番手から優勝を果たしたドラマチックな展開が、アイルトン・セナの初めてのワールド・チャンピオンを決めた1戦を伝説に変えたのでした。

プロストもポディウムでセナを祝福します。
しかし、翌年、さらにセナとプロストの戦いは激化していくことになるのでした。

© bluelady.jp

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