平井和正 vs 半村良

The novel world

私が平井和正に夢中になっていた頃、(平井和正がウルフガイをものにし、真幻魔大戦に着手した頃)半村良の小説に手を出すことはありませんでした。

それというのも私のまわりで半村良が好きと言っている友人たちはどうもうさんくさい人が多かったんです。
知ったかぶりの権威主義者というイメージの人たちです。(※あくまで私の周りです)

平井和正が好きという人たちはいませんでしたが…(※いても言えなかった可能性があります)

しかし、ある平井和正のインタビューで幻魔大戦の世界は半村良の「妖星伝」を取り込んでしまうほどの大きなものなのかもしれませんという、インタビューアーの言葉を読んだとき(ちょっとニュアンスが違うかもしれませんが…ずいぶん前なのではっきりと覚えていません)、「妖星伝」だけは読んでもいいのかなと思えたのでした。

※このページは私の記憶に頼って書き起こしています。事実と違う部分もあるかもしれませんが、ご容赦下さい。

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エイトマンで一緒に仕事をしていた

平井和正原作のTVアニメ「エイトマン」は氏の出世作です。

平井和正自身が脚本まで手掛けたアニメだったのですが、多忙を極め、知人の作家たちにヘルプを求めたといわれています。

その中に半村良や豊田有恒の名前もありました。
平井和正と半村良は友人だったのです。

同じ「エイトマン」というアニメの脚本を、作家としての出発点として手掛けながら、後年の彼らの作風のなんと大きく違うことか。

当時のSF作家たちは独自のジャンルを求めた偉大なパイオニアたちでした。
平井和正と半村良は独自の作風を求める長い旅路を歩むことになるのです。

三文SF作家 vs 直木賞作家

ウルフガイをものにした頃の平井和正は自らのことを「三文SF作家」と呼んでいました。
おそらくその裏側にはウルフガイで確かな人気を掴んだ自信もあったことでしょう。

しかし、平井和正が自らを「三文SF作家」というと似合っているようでもありました。
私からすると「ウルフガイのような作品を書くことができる大作家の謙虚さのあらわれ」として、その言葉に親しみすら感じたものです。

対して半村良はSF作家として初めて直木賞をとった偉大な作家です。
直木賞という権威で裏打ちされた実力の持ち主なのです。

そんな作家が書く小説は近づきがたくもありました。
そのことは私の単なる反骨から来るものだったのかもしれませんが…

プロットが少ない作家 vs 様々なジャンル・スタイルを手掛けるマルチ作家

平井和正は何かのエッセイで、同じスタイルの小説を書きつづけることに筒井康隆から苦言を呈されたと告白していたはずです。(筒井康隆じゃなかったかも小松左京か星新一だったかも…)

それはアダルト・ウルフガイのことを指しての苦言だと思います。

それでも平井和正は自らを「プロットが少ない作家」と開き直りながらも、独自の路線を突き進む決意を示していました。

私から見ても平井作品にはプロットの焼き直しが数多く存在するように見えます。
しかし再登場するプロットはセルフオマージュのようで好感が持てました。

対して半村良ほど多彩なジャンルを手掛ける作家を知りません。
「伝奇SF」「人情小説」「探偵小説」「歴史小説」…等々。
さらに、同じシリーズでありながらまるでスタイルの違う作風を展開する「伝説シリーズ」は圧巻の一語に尽きます。

とにかく早く読めてしまう作品 vs 最後まで何が飛び出すか分からない作品

私の感覚からすると、平井作品の作品世界へ引き込まれるスピードといったら他の作品に類を見ません。

私は、ものの数行で平井和正の作品世界に没入することができます。
そうしている内にあっという間に読み終わってしまうのです。

これは平井和正の作家としての力量の高さを物語るものといえます。

対して半村良は最後まで読み終わって「なるほどそう来たか?」と感動する…そんな感じの作品が多いように思えます。

それも半村良の発想力と高度なテクニックを証明しているようです。

どちらも全く違う作風を持ちながら、多くのファンを獲得している二大巨頭であることは確かです。

情念の作家 vs 嘘屋

平井和正は情念の作家と言われています。
氏の小説手法はキャラクターの感情を緻密に描くことによって読者の共感(心の共鳴)を引き出すものでした。

それは「キャラクターを立てる」手法そのもので、平井和正が生み出した魅力的なキャラクターは善悪を問わず多数に上ります。

晩年はその手法も「言霊使い」として、ほとんどプロットの無いものになっていくわけですが、相変わらず読者を物語り世界に引き込む力は衰えませんでした。

では、半村良の作風を表す言葉はどうなるでしょうか?
半村良は自らを「嘘屋」と規定しています。

それはリアリティにいかに虚構を埋めこむかという手法でした。
分かりやすいものには「嘘部シリーズ」があげられます。
歴史の中にリアリティーたっぷりに「嘘部」を埋めこんだ手法は虚構を現実と信じ込ませてしまう力(パワー)のあるものでした。

和服が似合わない巨匠 vs 和服が似合う巨匠

平井和正のエッセイ集「HIRAIST」には和服を着た氏の写真が掲載されています。
過去の巨匠と言われた作家を気取ったもののようですが、長い髪に眼鏡の和服はとても似合っているとは言えません。

筒井康隆や小松左京のようなドシッとした雰囲気が無いのです。
当時の平井和正は以外にもスリムな体型をしていました。
晩年であれば似合ったかもしれません。

ところが半村良は最初から和服が似合う作家でした。
私が知った頃には直木賞作家として知られた作家でしたので、当たり前かもしれません。

KAWADE夢ムック「総特集 半村良」の表紙の和服姿は「巨匠作家」そのものに見えます。
半村良は発散する雰囲気からして巨匠でした。

(そういえば、このシリーズに平井和正がラインナップされていないのが悔しいです。小松左京も「追悼読本 さよなら小松左京」が徳間商店から出されていました。こういった本が平井和正ではなかったのはどういうことでしょう。)

二人が亡くなってしまった今、その業績を思うと、和服が似合う・似合わないにかかわらず、どちらも小説家として巨匠といわれる存在に間違いありません。

最後に

私の好きな二人の作家は全く違う方向性を持っているのですが、作品の吸引力に変わりはありません。

ただし、ここまで作風が違えば同時に好きになることは不可能のように思います。

半村良の「妖星伝」だけは平井和正の作品と同時に読みましたが、「太陽の世界」を読むことは出来ませんでした。(読みかけたのですが、作品世界に馴染めなかった)

半村良の作品の多くを読めるようになったのは平井和正を知ってから10年以上を経過していました。

半村良の作品にはある種のハードルの高さがあるように思えるのです。

とは言え二人の作家がリアルタイムに作品を発表した時代に生きたことはとても幸せでした。
私には、いまもなお、この二人を超える作家は見つけることができません。

© bluelady.jp

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コメント

  1. 流浪牙-NAGARE@KIBA- 平井和正と半村良といえば より:

    妖星伝で有名になった(?)「生命そのものの業悪」という発想は、
    サイボーグ・ブルースの最終話「ゴースト・イメージ」におけるシンジケート幹部の発言の
    ほうが先行だと思うのですが、そのことについて触れる人が見られないのは歯痒いですね。

    別に両者の優劣などとは言わないのですけど……

    • Lin より:

      私は妖星伝も好きです。
      ひょっとすると妖星伝の方を先に読んだかもしれません。
      高校を卒業したばかりの頃で、記憶が曖昧になってます。

      サイボーグ・ブルースは色々な出版社から再版を重ねる度に読み返したのですが、やっぱり詳細が思い出せません。

      でも大好きな作品であるという思いは強まる一方です。

  2. アーモンドガイ より:

    初めまして。
    私は、両先生とも愛読しました。
    平井先生は、意識せずコミックのエイトマンや幻魔大戦、ウルフガイ(ぼくらマガジン連載)を読んでいて、10代の頃、読書好きの友人にハヤカワ文庫の「狼の紋章」を勧められ、初めて、先のコミックの作家ということに気づき、そこからリアルタイムで愛読しています。
    半村先生は、雑誌「月刊SFマガジン」で、短編や「石の血脈」、「戦国自衛隊」を読んでから、ずっと愛読しています。直木賞をとられた後に、私の住む市で講演会が開催され、滅多にないことなので聞きに行きました。作家として生活が安定するまで80(だったかな)もバイトをしたこととか、それが小説のアイデアに役立っているとか、楽しく拝聴しました。
    当時の「SFマガジン」には、国内のSF作家のほとんどが(漫画家の手塚・石森・永井先生も)作品を載せていましたので、この雑誌を読んでいた人は、同時に両先生を好きになった人が多いのではと思います。
    ちなみに、私は老眼が進んでいて、両先生が亡くなられた以後は本も買うばっかりで、ほとんど読めていません。

    • Lin より:

      アーモンドガイさん、はじめての書き込みありがとうございます。
      半村先生の講演を聞かれたとは、うらやましいです。
      私も老眼なのですが、まだ本は好きで読んでいます。
      ただし、実際の本はほとんどなく、電子書籍がメインになりました。
      文字が大きくなるので便利です。
      昨日の夜も、ウルフガイ「狼男だよ」を読んでいました。
      「ーどこもかしこも、そこら中死人だらけだ、とおれはもの悲しく考えた。」
      を読んで眠りに落ちました。

  3. 通称 イーデスハンソン より:

    読んだ時期が旬の時、時代が変われば新たな作家が生まれる。 若い時多感な時は何も考えていなかった。感じること、それを続けている時期、それが 青春かなと今感じる。
    その情熱が知らない間に、仕事に飲み込まれる。それも人生。大丈夫老後は長い。長い苦しみが待っている。その時に古書店であの頃の本を、作家を探して読みたい。あの頃の情熱を少しでも思い出したいから。

    • Lin より:

      イーデスハンソンさん、ありがとうございます。
      ハンドルネームからお察ししますと、そうとうな半村ファンですね。

      コメントの気持ち分かります。
      新しい作家の本を買っても、知らず知らず、若いときに読んだ本に没頭しています。

      これが、積ん読を増やす要因です。

      今後ともよろしくお願いします。