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アイルトン・セナの才能を世界が初めて認めたレース。1984年トールマンのマシンで雨のF1モナコグランプリは2位に終わる。

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Photo by PSParrot

1984年、アイルトン・セナは初めてF1を戦うことになります。
それは、順風満帆な道のりとはいえず、セナの駆るトールマンTG184(ハートエンジン)はトップ争いに加われるだけの十分な戦闘力はありませんでした。

それでもトールマンのマシン性能は前年よりも向上しており、前年1983年の終盤は4戦連続でポイントを獲得した成長中のチームだったのです。

マシンデザインはロリー・バーン、技術担当はパット・シモンズという布陣でした。

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1984年緒戦

1984年のF1は15チーム26台のマシンが参戦していました。
開幕戦はセナの母国ブラジルGP・リオデジャネイロ・サーキット。

アイルトン・セナは16番グリッドスタート、結果はターボの故障で8周目リタイアしています。セナの開幕戦は注目されることなく静かに終わったのでした。

第4戦サンマリノGPではセナのF1人生唯一の予選落ちとなっています。
これは、トールマンチームとピレリとの対立(金銭問題)によって、フリー走行でチームにタイヤが用意されず、走ることが出来なかったためです。マシンの調子も上がらず予選をパスすることが出来ませんでした。

  GP 予選 結果 備考
1 ブラジルGP(リオデジャネイロ) 16番手 リタイア ターボブースト圧
2 南アフリカGP(キャラミ) 13番手 6位(1ポイント) 優勝:ラウダ(マクラーレン)
3 ベルギーGP(ゾルダー) 19番手 6位(1ポイント) 優勝:アルボレート(フェラーリ)
4 サンマリノGP(イモラ) 予選落ち   優勝:プロスト(マクラーレン)
5 フランスGP(ディジョン・プレノワ) 13番手 リタイア ターボ
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第6戦:雨のモナコGP(6月3日)

第6戦のモナコグランプリは激しい雨に見舞われ、45分遅れでスタートすることになります。
トンネルには水をまいてのレースとなりました。

ピレリとの契約を切ったトールマンはミシュランにタイヤをスイッチしますが、マクラーレンがタイヤの優先権を持っていたため、ドライならば前年仕様のタイヤで走行する予定でした。
しかし、この雨でマクラーレンと同じタイヤを履くことになったのです。(ミシュランは前年仕様のレインタイヤを用意していなかった)

そして、アイルトン・セナの伝説となるモナコ快進撃が始まるのです。
この雨はセナにとっては、まさに神の祝福となったのでした。

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序盤でリタイヤする車が続出する危険なレースをプロストがリードする

セナは予選13番手でスタートします。直後、ルノーのウォリック、タンベイがサンデボーテでクラッシュ。そしてリジェのチェザリスが消える。セナのチームメイト:チェコットもスピン・アウトし、2周目までに姿を消します。

セナは前をいくアンジェリス(ロータス)をパスし9番手に浮上します。

レースはプロスト(マクラーレン)、マンセル(ロータス)、アルヌー(フェラーリ)、アルボレート(フェラーリ)、ラウダ(マクラーレン)がリードします。

ラウダは数周でフェラーリの2台をパス。トップを争うプロスト、マンセルを追う展開に。

そして、上位のマシンがスピンする中、9周目にはセナはポイント圏内の6番手を走っていました。

ケケ・ロズベルグvsアイルトン・セナ

序盤はめだったスピードの出なかったセナはターボのブースト圧を調整し始めます。
ついにはターボを切った(ブースト圧:0)セナのスピードは他を寄せ付けないレベルに達していました。(1分56秒台に到達するのは12周目)

前をいくケケ・ロズベルグ(ウイリアムズ)を目にしたセナは集中力を増します。
シケインの縁石に前輪をヒットさせながらもロズベルグを追い、12周目にはついに前年チャンピオンのロズベルグをパスします。

アラン・プロストvsナイジェル・マンセル

トップを行くプロストは雨を嫌い、スピードを落としていました(1分58秒台)。
11周目、すかさずマンセルはプロストをパスします。しかし、長くは続かず、テールをスライドさせバリアにヒットさせたマンセルは15周でリタイヤとなってしまいました。

ニキ・ラウダvsアイルトン・セナ

16周目にはプロスト、ラウダ、セナのオーダーで走行していました。

雨が激しく降りしきる中、スピードを緩めず加速すらするセナはラウダに襲いかかります。
そして19周目、ラウダの左からパス。この瞬間セナの才能は映像を見る世界の人々に知らしめられることになったのです。

驚異の天才、F1の新しいスター、アイルトン・セナの誕生の瞬間でした。

セナに抜かれた後24周目にラウダはスピンを喫し、リタイアしています。

アラン・プロストvsアイルトン・セナ 戦わずして幕切れとなる

アイルトン・セナの前を行くのはプロストのみ。セナはさらにスピードを上げ27周目には55秒台に到達しています。
その時、プロストのラップタイムは59秒台、プロストを捉えるのは時間の問題でした。

さらに雨は激しさを増し、29周目プロストは手を上げてレースの中断を訴えます。
プロストはブレーキの問題を抱えていたのです。

32周目、レーシング・ディレクターのジャッキー・イクスはレースを止める決断をし、赤旗が振られます。
この時プロストは即座にマクラーレンMP4/2を止めますが、アイルトン・セナはそのままゴールラインを抜け右手を高々と突き上げました。まるでウイニングランをするかのように。

www.bluelady.jp

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1984年モナコのレースはこのDVDが詳しいです。その他のモナコのレースも見られますが、1992年のモナコは少し情報が薄いと思います。

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